人生はレールに乗って過ごすものなのか?
ちょっと遅いけど、今はてなを揺るがす一台ムーブメントについて、僕も会社から言及します。
レールに乗る人生が嫌だと、18歳で大学を中退して起業するという道を選んだ若者について。これを読んだときは色々考えましたが、今ではまたよくわからなくなりました。
そもそも、人生にレールはあるのか
これを読んだ多くの人は、彼を批難しています。「そんな軽薄な」とか、「よく考え直せ」とか。
そして多くの人が言っていることですが、「レールに乗るのが嫌だ」と思い生きているその生活も、別の「レール」に乗って生きている人生だということ。このコメントを見たときは俺も「確かに」と思ったものの、今思えばそれも違う気がしています。
なぜなら、たしかに人生には大まかな「流れ」こそあるものの、それは「レール」と呼ぶには適していない気がしたからです。
これは僕の実感の話になりますが、僕はレールどころかめちゃくちゃな人生に生きていると感じています。でも同僚には、それなりに大きな流れの末に、今僕がいる場所と同じところで働いていて、僕と話している。
それぞれ違う流れで合流しています。この人生の流れは、「レール」と呼ぶにふさわしいでしょうか。もっと先の見通せない、流れに抗うことも敵わない「流れの激しい川」のように感じます。
センテンスが長くなってしまた。
この先の人生をどう生きるのか
僕はここ最近、人生に大きな波風を立てないように、ひっそり生きていたように思います。それは望んでなかったとしても。自然とです。
でも今回の18歳で起業を決意した彼を見て、なんかもっと能動的に生きないといけないかなあとも思いました。そうじゃないとしても、こうした誰かの「意志」を持った行動を目にして、何かを考え直すきっかけにしないといけないと。そう感じています。
いつだって「まあ仕方ない」と達観するべきところと、もうひと踏ん張りして行動に移るべきところがあるのだと。
人の意見をよく聞き入れるということ
今回の彼の決断自体は何も悪くないと思っています。本当に自分がやるべきだと思ったらなやるべき。その責任もしっかり負うべきですが。
しかし今回彼が一番ダメだったと思うのは、「人の意見を聞き入れていない」ということ。別の彼に対するインタビュー記事を読んでわかりましたが、彼はあまりにも人の意見を突っぱねすぎる。
自分の気に食わない意見だったとしても、一度自分の中で咀嚼して飲み込むべきなのです。じゃないと、本当に自分が考えるべき事柄も見えてきません。
彼はまだ若いから仕方ないのかもしれません。
今後もしかしたら、何かのきっかけで痛く痛感するかもしれません。
「あの人の言うとおりにしていればよかった」と。そのタイミングが来たときが、彼にとって致命的なタイミングでなければいいのですが…。
とはいえ、人のことを心配しているほど自分にも余裕があるわけではありません…。僕もしっかりしないと。
今回20分以上かけてる気がする。