いつだって上海蟹食べたいと思ってます
いつだって上海蟹を食べたいと思って生きてます
ちなみに上海は行ったこと無いし、蟹すら最近食べた覚えもありません
でも、それでも上海蟹へのあこがれは捨てずに日々生きていたいです
自分の価値を見失いそうになった時は
僕は基本的に自信がない星の生まれなので、自分の価値をすぐ見失います。
「俺ってなんでこんなにダメなんだろう」
「俺はダメだな…」
なんて泣き言を漏らしてばかりです。
でもそれじゃあ、この社会で生きてくなんて無理ってものです。
仲良くしてくれてる人に失礼
自分が無価値だと思っていると、いつも僕と仲良くしている人に失礼だと思い直して、ダメだと思った時考えることにしています。
だって本当に無価値なら、いつも仲いい彼も彼女も、無価値な人間と仲良くしてることになる。
だってきっといつも僕と笑顔で話してくれてるあなたも、僕に価値を見出しているからいつも遊んでくれてるはず。
人から許されないと、まっすぐ歩くことも敵わない。
そんな生き方です。
逃げない、感謝する、許容する
松下幸之助の残した言葉にこんな言葉があります。
自分に害を与える人にも感謝、肯定。なぜならばこの世で起こることはすべて必要で必然だから。
— 松下幸之助 meigen (@matsushitameige) 2016年10月31日
自分に害を与える人にも感謝するのは難しいですよね。でも出来る気もする。
そして、この世で起こることはすべて必然だということも理解できます。
自分へ降りかかるしれない試練は、「乗り越えるべきもの」「乗り越えることができるレベル」だと認識しています。だから何より逃げるべきではない。
害をなす人も、試練からもすべて逃げるべきではない。なぜならすべて必要で必然だから。
苦しめてくる人もそれなりの意味があってそれをしているはず。その意味を汲んで。受け入れて。できれば感謝する。ここまでやってようやっと人間として一人前。理想に一歩近づくってものです。
十人中十人と仲良くなるのは無理なのか
このブログでも結合定量の話はしたんだっけ。人間の維持できる人間関係には定量が決まっており、あるところで人間関係を厚く構築すると、別の関係が薄まるというものでした。
それと似た話で、「全員と仲良くなるのは不可能なんだな」と思ってます。
近くに人が十人いたら、十人全員と仲良くなるのは不可能なんだろうなと思っています。
許容してくれる人としないひと
僕は、僕のメンタルヘルスのためにも、生存戦略のためにも、なるべく皆と仲良くしたいと思っています。仲良くなくとも、なるべく円滑な関係を築きたいと思ってます。
でもこの世には、そういう、「歩み寄ってくる人」に対して過度に忌避感を覚える人がいるのも事実です。
そういった人は、僕の過去の経験上、自分と似た性質でないと自分の城(心の)に入れない。入ってほしくないと思っているんだろうと思います。
そういった人と近しい存在になるのはかなり難しいです。こっちが近寄ればよるだけ遠くに行ってしまうから。
「皆と仲良くなりたい」なんて言ってる人は信用できない
ふと自分で思ったことですが、「なるべく皆と仲良くなりたい」なんて心情を掲げている人は信用できません。
でも僕がなるべく円滑な人間関係を欲してるのは、僕の心が弱いから。少しでも嫌われるとすぐにくじけてしまうからなのです。
ちょっと前に「嫌われる勇気」なんて本が流行りましたが、そういった点でいうと僕は「嫌われる勇気」が人より無いだけです。でもだからこそ考えられることもあるだろうし、だからこそ思いつくアイデアもあると、そう信じてます。
いつまでもこんな泣き言ばっかり言っててはいけないと思います。「自分は弱い」ってところで終わらせていてはいけないと、自分でも思います。
願わくば、なるべくぼんやりと見えている、自分の理想像に近い自分になれれば。
TOKYO CULTURE STORYの動画がめちゃくちゃ格好いい
TOKYO CULTURE STORYの動画がめちゃくちゃ格好いいです。
もう格好いい。おしゃれとしか言いようがありません。
オザケンの今夜のブギー・バックを色んなミュージシャンが、時代に合わせた曲調でカバーして、その周辺をその次代のトレンドのファッションに身をつつんだ人が練り歩きます。
もう説明不要でしょう。
とにかくおしゃれ。当時のファッションは、今風にアレンジされるので全然古臭さを感じません。
音楽も、「今夜はブギー・バック」が元々持つムーディさと、出て来るミュージシャンの技量もあって本当にかっこいい。
もっと色んなバージョンが見たい!
通勤時間が短いと快適
一人暮らしはじめてから、通勤時間が短くなったので快適です
ストレス軽減! 以上!
「逃げ」は役にたつのか、失策なのか
いつも嫌な自分や仕事から逃げたい時、舞城王太郎の小説にあった、こんな一説を思い出します。
しかし逃げはいつも最大の失策。逃げて勝った奴なんて本当はいないんじゃないか?逃げずに苦しんだとしても苦しみが報酬となる場合があるのだ。逃げて楽をしたとしても逃げたせいでいろんなものを失う場合もあるのだ。 『煙か土か喰い物』
— 舞城王太郎bot (@maijyo_bot) 2016年10月26日
今「逃げるは恥だが役に立つ」なんてドラマもやってますが、実際に逃げるのは悪手である側面の方が強いように思います。
逃げるのは簡単で、戦うのは難しい
嫌なことから目を反らして、逃げてしまうのは簡単です。
反面、いやな事に立ち向かって、しっかりと戦うのは難しい。
そりゃそうです。誰だって嫌なものは嫌だ。楽したい。楽しいことだけやって生きたい。でもそんなの不可能ですよね。ストレスと完全に避けて生きることができることは、社会生活を営む人にはかなり難しいのではないでしょうか。
戦わないと、逃げられない場面で戦う力がつかない
ずっと逃げ続けても、いざどうしても逃げられない場面で戦う力を手に入れることができないのではないでしょうか。
RPGでいうレベルがまったく上がらないからです。
戦って、レベルを上げないと。若い頃の方がレベルの上がりもきっと良いはず。